8月に入って遊び呆けております。
遠方から友人が来てくれたり
婚活したり(連絡なくなった)
京都に行ったり
汚部屋選手権で四皇になった私の部屋に泊まりに来た勇者がいたり
引きこもりの私にしては、休みの度に外出もしくは誰かに会って遊んだりしていました。
約半月ぶりになんの予定もない休日をダラダラと過ごしている。
一通り惰眠を貪り、好きなものを食べてリフレッシュして横になった瞬間に出てきたのは父親の顔。
あぁ、そういえばこの半月忘れていたなぁ。
そう思った瞬間に少し怖くなった。
こうやって人は忘れていくんだ。
我が家は浄土真宗なので、逝去したあとはすぐに極楽浄土に行けるということになっている。
閻魔大王の謁見もなく即座に浄土に行けるという合理的かつ簡素化された考えは、残された私たちにとっても父が即時に苦痛がない世界に行けたと思うことで救われた。
父はしつこい人間だった。昔から生に執着していた。
延命措置もフルコースを希望していた。
勤務していてもフルコース希望の人なんかいなくて、苦痛を取り除く処置を希望する人がほとんどである。
母が「なんとしても絶対に生きたいって思ってたはず」とポツリと言った時、兄に「なにか聞いておきたいことはないか」と聞いていた時、その言葉の裏側にいろんな想いがあったことを感じ、1人ひっそりと泣いた。
コロナの爆発的感染拡大のせいで実家に行けず、父親の新盆を逃した。
霊体でも会える機会を失ったのかもしれない。
なによりもそう思ったタイミングが今だった自分にショックを受けた。
忘れてないよ、ごめん、ごめんね
父親が見たかったであろう景色、瞬間を見せてあげられなかった後悔が募る。
そんなセンチメンタルな休日。