覚悟があるやつだけみてくれ

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おもんな

どんなに取り繕っても「自分おもんな」と思う瞬間があり、語彙や発想が豊かな人たちと接していると頭がいいんだなと感心してしまう。

悲しいけれど年齢と共に知識がするりと抜け落ちてしまっているのを感じる。代わりに出てくるのが「えーっと、あの」というなんとも会話のテンポが悪く自分でもイライラする。

語彙は会話を豊かにしてくれる。
比喩表現が抽象的なのに洗練さを増す。

あの絵のタイトルはなんだっけ
そう、星月夜、ゴッホ
あれは?ダリの記憶の固執
真珠の首飾りの女、牛乳を注ぐ女
落ちた麦を拾うのは?ミレーの落穂ひろい
睡蓮の池って誰だっけ、それはモネ

あの曲、なんだっけ
ああ、ドビュッシーの月の光だよ
ベートーヴェン第九歌ってみたいなぁ
白鳥の湖は?チャイコフスキー
あ、くるみ割り人形金平糖の精か
懐かしいな
私ミュージカルも好きだったんだよ


基礎教養というか、なんというか
その土地に纏わる話や歴史忘れてしまったり、その時代背景がわからなかったりするのが悔しくて堪らない瞬間がある。

仕事を行う上で必要な情報を集める、未来のために必要な知識を蓄え利用出来る行政サービスを知っておく。生きる上でやっていかなければいけないことである。

人生の豊かさとは、必要のない知識をふとした瞬間に思い出すことができ、自分の中で反芻し思い出す記憶のピースが多いことなのではないか。自分の過去に思いを馳せることができることではないか。

皇后の言葉を借りるなら、私は「天にお返しした記憶」が増えている。思い出すことが出来る記憶のピースが少しづつ欠けてしまっているのか。
ここで私の妄想が入る。
人格を形成するものはパズルのピースみたいになっていて、アメーバのように必要に応じて進む方向に伸びていき必要のないピースはバラバラにほどけていくのか。だから急に人が変わったようになる人は、パズルのピースが急に崩れてしまったのか。


夜は妄想甚だしくなってしまうな。支離滅裂で破綻している。

私の精神世界はいつも疑問と空想で溢れている。なんで?に対して答えが出ない。
答えがひとつではない業種で仕事をして覚えた言葉が「仕方がない」「そうするしかない」。そうじゃないと自分の精神が保てないから。粛々と患者が受け入れるのを待つしかない。責任が取れない。だって私じゃどうしてあげることもできないんだもん。ごめんね。個別性の高い仕事ってこんなに辛いんだなって思った。

なんでそんな楽に仕事ができるの?
命は背負ってないけど私たちは生活を背負ってるんだよ?患者には「大丈夫ですよ」って嘘つきながらカンファでは「多分手指の改善は見込めません」って報告する。
命があっても何も出来なければ死んでるのと一緒なんだよ、自分の治療方針を間違えたせいで退院後うつになった人がいたのが苦しかった。もっと違う対応をしてればよかった。「しょうがないよ、予測できなかったことだったから」違うよ私の評価が甘かったんだよ。ごめんなさい。

ああ、もうダメ。
自分と周りとのギャップと切り替えのできなさが病休の要因。臨床に身を置く限り一生耐えなきゃいけないことだろうな。
自分が他人を変える、という傲慢さにも反吐がでるよ。お刺身にタンポポ乗せる仕事をしたい。


ADHDらしい話題の移り変わりが激しい日記ですね。ばーか。