覚悟があるやつだけみてくれ

Twitterでつぶやくには重めの内容がかいてあります

自己否認、自責感情


ここ最近はブログの下書きばかりが増えて自分の感情や想いが昇華できてないと思ったので、文章がある程度まとまってたものを出してみました。
とても鬱々としていいですね。
いい感じに死にたくなってました。


最近の私のテーマは「なんでこんな自責思考が強くなってしまったのか」です。
なってしまったものはしょうがなく、対処療法的に現在の症状を緩和させるために認知の歪みを少しづつ正して生きやすくするしか方法がないみたいです。
アドラー心理学で間違った学習をした結果、こうなったような気もしなくもない。

言いたいことが分からなくなってしまった。
前は文章をよく推敲して投稿していたが今回は思ったことを書き散らす方式に変更だ。

とどのつまり、私は思考停止をしたのではないか。原因を追求し試行し効果検証をする、という新人を教育する時に言っていた決めゼリフを全く自分ができていなかった
のではないか。
考えるのを諦めた、学習を止めた。
だから「自分が悪い」と一括りにし検証を放棄した。全くもって情けない話だ。
そこを掘り下げることができ、再評価と検証を実施していれば自分個人攻撃対象にするのではなく「問題点」を追い込ればよかったのか。

しっくりくるような、こないような。
自分で考える仮説なので自分の想像の域をどうしても越えられない。
最近はすこし客観的考える、反証によりネガティブな思い込みが少し緩和できるような気がしているが、長年培った自責パターンの自動思考はなかなかしぶとく私に居座り続けそうである。


それより強い問題点が私にはある。
依存と献身、自己犠牲。
相手の負担にならないように工夫したり考えれば考えるほどドツボにハマり、結局自分で自分の首を締める結果になる。
依存先を増やそう。人間じゃなくてもいい。
趣味でも、なんでも。